「きっかけはね、カタクリの花だったんですよ」 田中さんはそう言った。 ここは秩父郡皆野町。金沢の県道から百メートル程坂道を登ると、大きな天然石を積み上げた小高い敷地の上に、古民家風の田中さんご夫妻の住まいがある。田中さんはご主人の退職後、千葉県からここに移り住んだ。物件を探している時、この家の裏庭にカタクリの花が咲いているのを見つけた。春の風にゆっくりと揺れるカタクリの花。 「こんな花が咲く場所に住んでみたいと思ったんです」 カタクリの花のように「山の見える田舎で暮らしたい」 ご主人からそう持ちかけられた時、田中さんは戸惑った。ご主人は千葉県生まれの千葉県育ち。職場も都心だったので、今まで山の見える暮らしとは無縁だった。だからAさんには、ご主人の気持ちがよくわかった。田中さんも野草や野の花が大好きだったので、田舎暮らしにはずっと憧れていた。ただ、慣れない田舎で暮らして行けるだろうかという、不安もあった。そんな時、カタクリの花に出会ったのだという。 この秩父で暮らして14年。最初の不安はすっかり消えてしまいましたと田中さん。 ここは都心から電車で一時間もかからない。医療関係は充実していて、いざという時は、24時間電話で対応してくれる病院もある。何よりうれしいのは、地元の人たちが、田中さんたちを喜んで受け入れてくれる事だ。 毎朝、田中さんのご主人は山に向かって大きく背伸びをする。本当に気持ち良さそうだ。それを見ながら田中さんは今日は山菜を採りにあたりの山を歩いてみようかなんて考える。春になれば、家の裏庭にまたカタクリの花が咲くだろう。 あの花のように、自然の中でゆっくりと生きて行こう。田中さんはそう思う。