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ヒトに戻る空間 『西武拝島線・玉川上水駅』の巻
訪れたのは小春日和の穏やかな日。玉川上水駅から隣駅の武蔵砂川駅に向かって「玉川上水緑道」を歩いてみた。
清誓院橋から千手小橋まで
のどかな街並みが続く拝島線。玉川上水駅の「清誓院橋」から一つ目の橋「千手小橋」を目指して、国立音大のキャンパスを右手にただひたすら歩いていく。カサカサという落葉の乾いた音、川を流れる水のせせらぎ音、コゲラやシジュウカラの鳴き声、音が溢れているようでとても静かに感じるのは、電子音や機械音がないせいだろうか。
玉川上水に関わるひとたちの因縁
「玉川上水」は、江戸時代初期に多摩川の水を江戸市中への供給と武蔵野新田開発が目的でつくられた上水路だ。設計施工を担当したのは、当時江戸市中で土建業を営んでいた玉川庄右衛門、清右衛門兄弟。上水完成後はその功績を認められて上水の管理を任されるまでにいたったが、水道料金に関する不正事件により失墜して行方不明に。その後明治になって名誉を回復されるのだが、不思議なのは、位記を持つ子孫とされる人が二人現れた事。もともと、兄弟の出生についても謎が多かったのだか、玉川兄弟に行きつくまでにも途中でわからなくなり謎、らしい。昭和に入り(昭和23年)、太宰治が山崎富栄と入水自殺をしたのは有名だ。この緑道は地域の生活道として、豊かな自然空間を擁しながらすっかり生活に馴染んでいる。そして玉川上水は今日も静かにヒトの生を映しつづけていくのだろう。 |